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この特集では田中工業「黒須田守」をはじめとした5名のライターから競艇にまつわるさまざまなレポートをお届けします。
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精鋭集団に注目せよ!――97期生の真実――

DSC01272  まずは、この数字を見ていただきたい。
88期=244 89期=273 90期=197 91期=268 92期=244 93期=358 94期=287 95期=375 96期=289
 93期と95期が少し多いが、あとはおおむね240~290くらいで推移していることがわかる。これ、何の数字だと思われるだろうか。
 実は、やまと競艇学校における、各期の模擬レースの回数である。新人たちはだいたいこれくらいの模擬レースを走り、競艇という競技での戦い方を学んで、プロとして競艇場に向かうわけだ。
 では、97期生はいったい何回の模擬レースを走ったか。
 554回
 そう、97期は他の期に比べてダントツの数字なのだ。しかもこれ、卒業1カ月前の8月21日現在だから、9月22日の卒業記念レースの日にはさらに増えている。約600回と考えてもらっていいだろう。
DSC01321  60期、69期、82期などを育て上げた小林雅人教官は、「普通、ここまでやるのは無理なんですよ」と言う。訓練は、模擬レースだけではない。整備訓練もあれば、法規などの講義もある。それを1年間という限られた時間内でこなさなければならないのだ。88~96期の模擬レース回数が、標準的だと考えるべきなのである。ところが、11月にデビューする97期生は、通常の2倍、90期と比べれば3倍の模擬レースを走った。彼らは不可能を可能にしたのである。ちなみに、スタート練習の本数も、88期以降初めて2000本を突破している。

DSC01334   97期はやまと競艇学校にとっての勝負期。これは以前の記事にも書いた。選手養成所が本栖からやまとに移って早や5年。88期生が最初の卒業生となるわけだが、それ以降、卒業生のデビュー期(デビューから半年)成績はハッキリと低迷していた。平均勝率が3点を超えたことがなく、最高で91期生の2・93。本栖よりも施設、環境ともに向上したはずのやまと競艇学校から、高いレベルの卒業生が送り出されていない……これは、競艇学校のアイデンティティに関わる問題であるのはもちろん、競艇界全体にとっても由々しき事態である。危機感を抱いた教官をはじめとする関係者たちは、97期で結果を出さなければ、そう考えた。これまでのカリキュラムを見直すと同時に、どうすればハイレベルな新人選手を育成できるかを考え抜いた。まさしく、97期は“勝負駆け”だったのだ。
 その結果が、約600回という驚異的な模擬レースの回数につながった。もちろん他の課業をおろそかにしたわけではない。教官たちの戦略と熱意、そしてそれに応えた97期生の努力と頑張りが、この数字を可能にしたのである。

DSC01302  とはいうものの、最初から順調だったわけではない。97期を勝負期と考えたのは、それまでの低迷を打破しなければと考えたからであって、97期生たちが飛び抜けた才能を示したからではなかった。いや、むしろ入所試験の成績はそれまでの期よりも悪かった、という。「この期で勝負しなきゃいけないのか……」、97期生が入所した昨年の10月には頭を抱えたこともあったとか。課業が始まっても、97期生は決して大いなる可能性を示したわけではなかったそうだ。
 しかし、教官たちは、そして97期生たちも、決して諦めなかった。「この期の訓練は、かなり厳しかったよ」と小林教官が言うとおり、主任である柳田利廣教官を先頭に、実にハードな指導を行なった。小林教官は、現在はすべての教官を統率する、一般企業で言えば管理職の立場だが、勝負のかかったこの期の訓練に、これまで培ってきたノウハウをつぎ込む決意を固めていたという。ところが、柳田教官の熱意は、多くの名選手を育てた小林教官をも驚かせるものだった。訓練方法については何度も何度も議論を重ね、「だったら、柳田に任せようじゃないか」と小林教官は決心、柳田教官を中心にした熱血指導が始まった。
DSC01303  柳田教官は、97期生のキャッチフレーズを「サプライズ」と決めた。入所時には決して優等生とは言えなかった彼らが、プロとしてデビューした後に「サプライズ」を巻き起こす。設定したデビュー期平均勝率目標は3・47。やまと卒業生初の3点超えを目指すばかりか、96期生より1点以上高い勝率をノルマとしたのだ(それ以前に、模擬レースの回数も、すでに「サプライズ」だ)。柳田教官は、「サプライズ」を現実のものとするために、訓練に打ち込んだ。97期生もまた、このキャッチフレーズのもと、必死に訓練についていった。彼らは「サプライズ」を合言葉に、お互いを磨き上げていったのだ。
 97期生は、入所当時、35名だった。卒業したのは、20名。この数字が、訓練の厳しさを物語っている。つまり、11月からプロとして水面に登場する97期生は、その訓練を乗り越えた者たちなのだ。

DSC01337  97期生たちは、ただ厳しい訓練に耐え抜いただけではない。たとえば、ターンマークでの初動の切り方。これまで競艇学校では、少しずつハンドルを送っていくという、安定して旋回する方法を教えていた。97期生は違う。初動でハンドルを勢いよく大きく切る方法を最初から教えられたのだ。納富英昭教官は「いきなり難しい方法から教えたんですよ。だから、最初はみんなよく転覆したよね」と証言する。転覆回数が30回の者などザラにいるそうだ。だが、彼らがそれをマスターした頃には……言うまでもなく、ハンドルのコントロール技術は格段に上手になっていることになる。転覆回数が多いことも、まるで気にならない。あの今村豊が訓練生時代に「ドボン・キング」と呼ばれていたことをご存知の方も多いだろう。97期生は、転覆するごとに技術を向上させていった。高いハードルを課され、失敗を重ねてもめげずにチャレンジすることで、そのハードルをクリアしていった。卒業のときには教官たちに「今期は、はっきりとレベルの高い卒業生です!」と言わしめた、それが97期生なのだ。

DSC01430 卒業記念レースの前日、柳田教官に「レースが終わったら泣くんじゃないですか?」とちょっと悪戯っぽく聞くと、「いや、絶対に泣きませんよ」と微笑んだ。卒業式を終え、競艇学校を出発するバスに97期生が乗り込むと、車内から次々と「柳田きょうか~ん」という声が飛んだ。そのとき、柳田教官はズブ濡れ。卒業式恒例の「教官水神祭=卒業生たちが、これまでのお礼参りの意味も込めて(笑)、教官を水面に投げ込む儀式」で、一緒に担当した小林竜彦教官、唐木雄介教官とともに水面に落とされていたのだ。
 柳田教官は、最高の笑顔を見せていた。たしかに泣いていなかった。バスの中の97期生も、ほとんど泣いていなかった、と思う。「きょうか~ん」という声は、ひたすら明るく、力強いものだったのだ。やることはやった。結果はわからないが、できることはすべてやったのだ。そんな充実感と、その上に結ばれた強い絆が、柳田教官と97期生の間に結ばれていたように思えた。
 精鋭集団・97期生よ、君たちのデビュー期には注目させてもらおう。この熱意が、必ずや3・47のデビュー期平均勝率を達成させると信じる。それを果たして、今度こそ柳田教官を泣かすのだ! 不肖・黒須田、もう、勝手に思い入れさせてもらうもんね。
 あなたたちが「花の97期」と呼ばれる日が来ることを、心から願います。(黒須田守)

※教官写真=左から唐木雄介教官、柳田利廣教官、小林竜彦教官


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コメント

97期生は、模擬レースの回数が多いということで、デビュー戦でもいきなり一着なんてこともありえそうですね!

これからデビュー戦から新人選手を応援しようと思います!

投稿者: ゆきと (2005/10/05 2:29:21)
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