この特集について
ボートレース特集 > 穏やかに、そして……――賞金王シリーズ、4日目前半のピット
この特集では田中工業「黒須田守」をはじめとした5名のライターから競艇にまつわるさまざまなレポートをお届けします。
ライタープロフィール
カテゴリー
関連リンク
競艇サポーターズ
関連書籍

 ボートレース特集

穏やかに、そして……――賞金王シリーズ、4日目前半のピット

2007_1221_0427  ピットの水面際で、装着場のほうをぐるりと眺めていたら、奥のほうに山崎哲司が見えた。着替え室にカポックとカッパをもってきて、2Rの展示の準備をしようとしているところらしい。今日は1着勝負駆け、頑張ってもらいたいところだ……って、ちょっと待て。テツがもっているカッパは黄色。2Rは、4号艇じゃなかったっけ? ケブラーズボンのヒモを締め直している間に近寄って、出走表を見せる。キョトンとするテツ。傍らに置かれていたカッパを指差す。
「あっ!」
 ニヤリと笑って、テツは着替え室へと戻っていった。勘違い、のようだ。いや、もしかしたらテツは、「6号艇の金子さんが前付けに来るから、5カドか……」とシミュレーションを立てていたのかもしれない。1着だけしか考えていない、そう言っていたのは昨日の午後のこと。この勘違いは、気合の表われだと思った。完全に勝負に集中し切っていたのだ。青色のカッパを手にしたテツは、あははともう一回笑って、すぐに厳しい顔に戻った。

2007_1221_0282  もういちど、装着場をぐるりと眺めると、昨日と同様に、穏やかな空気が漂っている。すれ違う選手たちと挨拶を交わしても、彼らはみな穏やかに微笑んで、会釈を返してくる。たとえば、重成一人がにこやかであるのは当然だろう。アシはバツグン級、予選1位を今村豊と争うポジションにいるのだから、気分が悪かろうはずがない。成績はもうひとつだが、安田政彦が渋く微笑んでいるのも、ピットで見てきた彼の人柄を思えば、まあ理解できる。挨拶を交わしたのが、1R直前だったのには驚くしかないが(安田のほうから挨拶してくれました)、それ以外は想定できることではある。
2007_1221_0200  だが、3Rで2着条件の勝負駆けを戦う原田幸哉がにっこにこに笑っているのは、なんとなく奇異なことのように感じられる。柳沢一との絡みは、談笑という以外にないものであって、勝負駆けのピットの風景にはそぐわないような気がしてならなかったのだ。まして、それがここ一番では鋭い黒豹のような目つきになる原田幸哉なのだから、なおさら不思議に感じるのである。
 実を言えば、シリーズ組に限らず、決定戦組の周囲にも同様の空気が流れていて、全体的にひたすら穏やかな朝のピット、である。もちろん、居心地が悪かろうはずはない、のであるが。

_mg_2860 「今村さーん、しっかり拾ってよー!」
 声がして振り向くと、田中信一郎が係留所を見下ろして、にこにこ笑っている。係留所を覗き込むと、今村豊がたも網で水面のゴミ掃除をしていた。やはりにこにこ笑いながら。何かを落としたので拾っている、というわけではなく、楽しそうに掃除に興じている、という感じ。いやはや、今村さん、元気一杯である。
 一昨日だったか、着水を待っている太田和美を見つけて、悪戯っ子のような笑みを浮かべて駆け寄った今村を目撃していて、その元気ぶりに微笑ましい気持ちになったものである。そのときは、大声+身振り手振りで太田を笑わせており、これはミスター競艇がピットで見せる日常的な光景だ。そんな今村豊を見るのは、嬉しいもの。心和む振る舞いを見せているのが、今村豊という男なのである。
 延々とゴミをすくっているミスター競艇は、今朝のピットの穏やかさをさらに増幅させていた。

2007_1221_0421  2R。山崎哲司が5カドから強烈なマクリを放ち、それにインを奪った上瀧和則が激烈な抵抗を見せたことで、ぽっかり開いた差し場を突きぬけた市川哲也。ボートリフトに出迎えた池本輝明や前本泰和の姿を見つけて、にっこりと笑った。もちろんヘルメットをかぶっているので、目しか見えなかったけれども、それは遠目にもハッキリとわかるほどに、くにゃりと曲がっていた。気持ちのいい1着だったことだろう。
 山崎を弾き飛ばした上瀧は、水面に上がるや否や、数m離れていた山崎に「哲司! ごめん!」と声をかけている。上瀧としては、インを奪い、マクリに抵抗し、やるべき仕事は果たしたという充実感もあったのだろう。3着に敗れた悔しさもあったには違いないが、声の張りはどうしようもない負け方をした者のそれではなかった。上瀧は、エンジン吊りを終えると、すぐに瓜生正義のもとに駆けつけて、吉田弘文とともに、爽快な笑顔を見せていた。レース後の表情にしては、妙に穏やかに見えた。
2007_1220_0943  ひたすら穏やかに過ぎていった、朝のピット、3Rが近づき、記者席に戻ろうと出口に向かうと、山崎哲司と目があった。テツは、拳を振り下ろしながら、顔をしかめた。「くそーっ」。スタートを決めた、マクった、つまり、やるべきことはやった。それでも、悔しいものは悔しい。「これが上瀧和則という人の厳しさだね」と、強くて強くて仕方がない先輩の壁を感じ、敗れたこと自体の悔しさはもちろん、自分がまだ成長の途上にあることを思い知らされた。笑ってなど、いられようはずがない。それでこそ、テツだ。穏やかな空気のなか、一人、唇を噛み締める男がいる。そう、やはりここは戦場だ。こうして、勝者の歓喜と敗者の悔恨が、時間を追うごとにピットの空気を変えていくだろう。穏やかな朝は、こうして終わりを迎えていくのだ。(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩=今村 TEXT/黒須田守)


| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
コメント