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この特集では田中工業「黒須田守」をはじめとした5名のライターから競艇にまつわるさまざまなレポートをお届けします。
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THEピット――王者の一念、岩をも通す

   10Rが終わって選手がピットに戻ってくると、ボートリフトの周辺はエンジン吊りの選手でごった返す。終盤戦の時間帯だから、艇運係の方々もボートの片付けに大忙し。モーターが外され、裸になったボートが次々とフォークリフト型の重機(ボートをくるりと回転させて逆さにし、中の水分を出し切る)に運ばれていく。通常、この時間帯に走った選手は、再び水面に出ようとはしないものだ。
_mg_9894  そんななか、1艇だけモーターを取り外さず、ピンクの旗とピンクの横棒が描かれたプレートを取り付けたボートがあった。えっ、こんな時間に試運転? ネームプレートには「松井」とあった。
 きっちり2着を取り切った王者が、こんな時間帯だというのに、試運転?
 長嶺豊さんによると、10R後すぐに、湯川浩司がピンクの旗をもって松井を出迎えていたそうである。おそらく、レース前から「レース後は試運転」と決めていて、湯川に指示を出していたのではないか、とも。展示などで異変を感じ取っていたというのか。だとするなら、それでも2着に食い込んだのだから、恐ろしい。あるいは、レースには影響しないけれども、さらにパワーを引き出す方向性を見つけたというのか。
 装着場に1艇、ぽつんと置かれたピンクの松井艇。
 違和感とともに、圧倒的な威圧感を放っていた。

2009_0319_0457  その頃――11R発売中、まだ何艇もが試運転をしていた。吉川元浩、魚谷智之の兵庫ツートップが懸命に走り続けて、パワーアップへの手応えをつかまんとする。田村隆信と丸岡正典が何度も足合わせをしている。山口剛、市橋卓士ら若手の姿もあった。さらに、服部幸男も水面を疾駆し、その後は試運転係留所につけてなお走り続ける姿勢を見せていた。吉川や魚谷をはじめ、多くの試運転組はこの時間帯に続々とボートを引きあげ、試運転を切り上げていたけれども、服部と、あと吉田弘文のボートは引き続き係留所に留まっていた。
2009_0319_0834  ボートを陸に上げたけれども、モーターを取り外そうとしなかったのが、木村光宏だ。今日もまた、木村はこの時間帯まで試運転に励んでいた。ボートを引き上げたはいいが、まだ走り足りないのか、木村はリフト周辺から動こうともしない。
 _u4w8510 そのとき、着替えを終えた松井が、試運転用のカポックを手に装着場にあらわれた。レース後はカッパやカポックの返却、着替えなどもあるから、再び装着場にやって来るまでには時間がかかる。10Rが終わってから、少なくとも10数分は経ってから、松井はピンクのボートに辿り着いたことになる。
_u4w8524  まず、松井は整備室の前までボートを移動し、ギアケースの調整をはかった。手早く整備を終えると、ボートリフトへ。しかし、ひとつだけ問題があった。多摩川競艇場は原則、11R発売中で試運転を終了するのだ。そして、松井がリフトにボートを乗せようとしたとき、信号灯はすでに試運転タイムが終わったことを告げる赤ランプに変わっていた。松井は、12R発売中にも試運転ができるものと思い込んでいた(松井の多摩川参戦は4年ぶりである)。おそらく木村は知っていたのだろう。それでも、SGは例外が適用されるかも、と望みをかけて、リフト前を動かなかったのではないだろうか。
2009_0319_1072  そこにあらわれたのは、金子良昭だった。松井と二言三言、言葉を交わすと、競技棟に走る。1~2分後、金子が大きくOKサインを出した。そして、信号灯が青ランプに変わった! 王者の一念、岩をも通す。10Rに出走していたことが鑑みられたのだろう、ほんのわずかな時間だけ、試運転が許されたのである。
 金子に礼を述べた松井は、すぐさま水面へと飛び出した。1周、2周、3周……で、すぐにランプが赤に戻る。時間にすれば、1分50秒ほどだけ、松井は水面を走ることができたことになる。
_u4w8553  そんな短時間で、果たして満足できる試運転ができたのかどうかはわからない。だが、試運転係留所に戻って来た松井は、満面の笑顔を見せていた。金子が出迎えていたこともあるだろう。わずかな時間でも走れたことで、心のつかえがとれたのかもしれない。ともかく、松井は笑顔で試運転を終えた。夕陽を浴びて、笑顔が輝いていた。
_u4w8556  松井が12R発売中も走るつもりだったのかどうかはわからない。試運転係留所に松井が入ったことで、念押しのアナウンスが入る。「12R発売中は、試運転は行ないません」。松井の隣で金子が、競技本部に向かって両手で「×」を作り、首をかしげて「ダメなの?」とジェスチャーを送る。さらに、両手のひらを上に向け、「why?」のジェスチャー。松井はその横で、笑っていた。

2009_0319_1057_3  どうやら服部も、12R発売中にまだ走れると思っていたようで、松井と二つ三つ言葉を交わすと、ふんふんとうなずいてボートを引き上げている。吉田弘文も、それに続いた。
 しかし、松井のボートは係留所につながれたまま。11Rが終わり、エンジン吊りも終わると、松井は再びボートに乗り込んで、モーターを始動している。
_mg_9906 といってももちろん、水面には出られない。松井は、ポケットからメモ帳とペンを取り出して、回転数のチェックをしているようだった。入念に。ペラを何度か取り換えながら。装着場には、松井艇のモーター音だけが、轟いていた。
_u4w8545 艇を引き上げたのは、午後4時13分。丸岡正典や松下一也らが駆けつけて、エンジン吊り。ボートは艇運係の方によって運ばれ、モーターは整備室へ。カポックを着たまま、再び装着場に向かった松井は、工具入れなどを回収して、また整備室へと戻っていった。充実感があふれる顔つき、堂々たる足取り。それは、“松井劇場”のエンディング。
 時間にすれば、小一時間というところだろうか。僕はたしかに、王者の理由を目の当たりにさせられていたのだ。(PHOTO/中尾茂幸 池上一摩=松井劇場 TEXT/黒須田)


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